仕事が進まない人のブログ

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意思決定と行動

前回はわざわざ仕事をやる利益と不利益を分析しようと試みたものの、このような判断が意識下で行われることはほとんどありません。

Wikipediaの「意思決定」の項目には次のような研究結果が書かれています。

意思決定 - Wikipedia

指を動かそうとするとき、人体の中で、

  • 「自らの意志で指を動かそうと思う」
  • 運動の指令信号を発する」
  • 「実際に指が動く」

の3つの物事が生じる順番を観測したところ、

  1. 運動の指令信号を発する」
  2. 「自らの意志で指を動かそうと思う」
  3. 「実際に指が動く」

の順番になっていたということです。

つまり、2番の「動かそうと思う」というのはある種の錯覚で、すでに脳内で意思決定が終わったものを認識したときに、これから指を動かすという決定を単に受け取るだけでなく、自分で指を動かすと今決めたように認識するということになります。

人間には魂のようなものがあって、1番の脳の信号を発する前に意思決定に影響を与えているとすれば、魂は観測できないから、この順番はそれほど驚くに値しません。しかし、そうでないとするなら、我々が意識と呼んでいるものは、実は何も決めておらず、人生とはまるで主人公の行動を自分が決めているかのように錯覚するすごい映画を見ているようなものだ、という解釈が成り立ちます。

 

しかし我々が普段そんなことを考えないのは、ほとんどの場合、意識していることと実際の行動に整合性があるからです。つまり、脳内が下した判断と意識が下す判断がほとんどいつも同じになるからです(意識も脳内にありますが、ここでは、「意識」といっているのは脳内で意識を司る特定の部分、ということにします)。

逆に、脳内の判断と意識の判断が乖離してくると、意識のほうはやりたいと思っているはずのことができずに苦しむことになるのではないでしょうか。

仕事をやる利益と不利益の話をすれば、意識のほうでは外から入った知識や他人から言われたことが影響し、やる利益の方がはるかに上回っていると感じていて、やる、と判断したはずなのに、脳内のほうでは外からの情報の影響が小さく、その分やる不利益のほうが上回ってしまって行動に結びつかない、ということになるのではないでしょうか。

この場合、もともとの流れから言うと、自分はその時は仕事をしないという選択を自分でしたように認識します。しかし、後から考えると、なぜそのような選択をしたのかわからなくなって苦しむわけです。

それはわからなくて当然です。脳内の電気信号の流れがどうなっていて、その結果どういう意思決定につながったのか、現代の科学で観測して実証することは不可能です。

 

そうすると、意識下ではすべきと思っている仕事を始めるには、脳内の判断を意識の判断に近づけていくように持っていくしかありません。言うのは簡単ですが、原理がわからない以上、実現は困難です。

ぱっと思い付くのは、

  • 習慣になるまで我慢する
  • 入ってくる情報を意識的に偏らせる
  • 脳内に影響を与える薬を飲む

くらいです。

一つ目の習慣にする、というのは対策の王道の一つです。これについてはまた機会があったら書きたいと思います。

二つ目は、要は自分で自分に洗脳を施すか、他人に洗脳してもらうか、というようなことです。意識下だけでなく、脳内の判断を強制的に望ましい方向へ向かわせるためには、意識下では過剰なまでの情報を入れる必要がありそうです。これはこれでリスキーです。洗脳の結果、望ましい方向に向かうかどうかの保証はありません。

三つ目は物理的手段であり、実行は最も簡単です。しかし、脳内の判断が望ましい方向に向かうかどうかはまったくわかりません。医師が処方する薬や、リスクの少ないサプリメントを指示通り服用する分には効果があるかもしれません。薬が効果を示す機序がはっきりしていなくても、一応、統計的に効果があるかもしれないことがわかっているからです。これは、試してみないとわかりません。

 

私としては、世界には神あるいは自由意志を示す魂があって、高潔な魂はそれだけ善い意思決定をする、というようなことを信じられるようになれたらなあという願望を持っているところです。